レビュー『累犯障害者』

累犯障害者 (新潮文庫)

累犯障害者 (新潮文庫)

漢字のみのタイトルと重いテーマから、何度もページを閉じながら読むことになりそうだなと思ったけれど、違った。ミステリでも読むかのように続きが気になり、一気に読んでしまった。


汚職実刑を受けた元国会議員の著者が、刑務所内で服役する様々な障害者と出会った経験から、障害者による犯罪とその後を取材したルポルタージュ

精神障害、知的障害、認知症聴覚障害視覚障害、肢体不自由など、様々な障害をもつ受刑者が、何ら福祉的機能のない刑務所でただ時間を過ごし、他の健常な受刑者が”懲役”の一環として彼らの世話をする。そんな耳を疑いたくなる話。

それでも彼らはそこを居心地よいと感じ、軽微な罪を犯してはまた入所してくる。
統計上、受刑者の4分の1が知的障害に該当し、うち7割が再入所者なのだそうだ。


理論的には、全人口の2%は知的障害に該当する。
(というより、知的能力の人口分布の下位2%を知的障害と呼んでいる。)
そうすると日本には200〜300万人知的障害に該当する人がいるはずなのだが、実際には療育手帳を所持して福祉サービスを受けている人は約50万人しかいない。

もちろん環境に恵まれ、適応的に生活できている人も多いのだろうけど、計画を立て、見通しをもって実行していくのが苦手だという特性ゆえに、お金を貯めたり仕事を継続することができなくて困窮したり、社会から不当な排除を受けていながら、福祉につながる術も知らないまま、ひっそりと暮らしている人もいる。その中の一部の人が生きていくために行き着く先は、刑務所か、ヤクザか、犯罪者グループしかなかったりする。


この話が根深いなぁと思うのは、彼らは単に衣食住を求めているわけではなく、もっと精神的な価値、存在を肯定してくれる他者を求めているということ。
「刑務所に入れば仲間ができる」
「(売春をして)私を抱いてくれた人はみんな優しかった」
法を犯さなければそれが手に入らないというのが、歪んでみえたとしても、1つの現実。


社会は彼らの居場所をつくることができるのか。
福祉は福祉たりうるのか。

現在進行形で障害児支援にコミットしている身として、考えさせられる本だった。



関連エントリ:2012年8月2日FBに書いた記事
<大阪で30年間ひきこもりだった男性が姉を殺害した事件の裁判員裁判まとめ>

裁判の経過や判決文を読んでいないため予断は禁物ではありますが、報道内容をまとめると、
1.事件前に医学的な診断や治療は受けておらず、逮捕後に大阪地検による精神鑑定でアスペルガー症候群とされた。
2.弁護側は犯行に同障害が影響したとして保護観察付きの執行猶予判決を求めていた。
3.検察側は責任能力に問題はないとして懲役16年の実刑判決を求刑していた。

これに対してこの裁判員裁判の下した判決は、検察側の求刑を超える、有期懲役刑の上限である懲役20年の実刑でした。その理由として報じられているのは総合すると以下のとおり。
1.被告のアスペルガー症候群が犯罪に影響はしたが、それを量刑上大きく考慮すべきではない。
2.反省が十分でない。十分な反省のないまま社会復帰した場合の再犯が心配。刑務所で内省を深めさせるべき。
3.出所後の社会的受け皿がないため再犯が心配。
4.社会秩序の維持のためできるだけ長期間刑務所に収容すべき。

ベムのメモ帳V3 「市民感情」を投影した判決?

障害者支援はこの10年ほどで、支援費制度や自立支援法を通じて飛躍的に地域の社会資源を増やした(様々な不備があるにしても)。触法に関しては「累犯障害者」などという言葉も広まり、社会復帰に向けての実践もはじまった。「地域生活定着支援センター」なんてものもできた。「発達障害」は支援法ができ、障害者福祉の中に組み込まれるようになった。16年後や20年後も「受け皿が用意されていないし、その見込みもない」という予測はいったいどのような根拠から立てられるのか。

lessorの日記 判決要旨の言っていることがよくわからない

「よくわからん連中は閉じ込めとけ」的判決への疑問・憤りは2つのブログでほぼ網羅されているので、僕が繰り返し書くことはしないのだけど。

この判決の「見込み」を鼻で笑えるような、懐の広い社会を16年後までにつくらなきゃなぁと思います。

16年後というと、今会ってる子どもたちがちょうど成人する頃だ。