「子どもは家庭で育てるべき」かどうかを語る上で

前回のエントリで取り上げた衆院選公約に関して、色々とご意見をいただきました。
特に話題となったのは某党の「0歳児は家庭で育てるべき」政策に関して。
これを家庭外保育の否定ととるか、雇用・労働体系の見直しに向けた一歩とみるか。あるいは、子育ての第一義的責任を負うことになっている保護者の、責任の範囲はどの程度なのか。

この議論はこれからもあちこちで出てくるだろうなぁと思っていたらさっそくこんなニュースも出てきて、本気で政策化していきそうな気配です。
男女共同参画会議に教育学者の高橋史朗氏 伝統的家族観へ是正も

改めて書くほどのことでもないのですが、自分の中でも整理をしたかったので、ひとまず何が論点になるのかを思いつくまま書き出してみました。


■乳幼児の家庭外保育は子どもの発達にとって、よい/悪い/関係ない
何はともあれ、賛成派も反対派も、ここが一番の論拠になるのではないでしょうか。
三歳児神話亡き今、”親以外の例えば保育士であっても、特定の大人との間に安定した愛着関係が築ければ発達に影響はない”というのが定説となっている、というのが僕の認識です。
が、最近は0歳児に関しては家庭外保育が有害である、という説が北欧では自明視されているという話も聞きました。
反対によい影響がある、というのは、早くから集団に入ることで多彩な刺激に触れることが、親との二者関係のみの環境よりも望ましい、という文脈だと思います。

とするとここでの論点は、影響があるとすれば
・発達のどの領域でどの程度影響があるのか
・その影響は不可逆的なのか、キャッチアップできるものなのか
・影響を最小限にするために必要な保育の条件とはどのようなものなのか
・その条件を満たす保育サービスを遍く提供するにはどのような制度改革が必要なのか(かつ、それは可能なのか)
といったあたりでしょうか。


■乳幼児の家庭外保育は親が親となる上で望ましい/望ましくない
この点も家庭外保育反対派からよく問題提起されるように思います。「子どもが0歳のときは親も0歳」なんて言われますが、親が親として成長していく過程で、家庭外保育の存在は有益なのか、有害なのか。

まず親にとって有益であるという見方としては、心理的・物理的負担減、育児に関する情報提供、ネットワーク形成などが挙げられると思います。専業主婦よりもワーキングマザーのほうがストレスが低いということは随分昔から言われていますし、これに類する研究も多いです。

一方、悪影響として言われるのが、親の責任を曖昧にする、親として子育てを楽しむ機会を奪う、といった意見です。後者はわかりますが、前者の「責任」というのは、そもそもその定義自体が曖昧な印象があります。子どもを預けて他のことをするのが無責任だ、というのではトートロジーですよね。

・家庭外保育が存在することで親が損なう可能性のある「自覚」「責任」とは何なのか?
・その欠落は子どもにどのような影響を与えるのか?
・その意識は家庭で育てていれば自ずと育まれるものなのか?
といったあたりが検討されるべき命題でしょうか。

子どもの発達に影響がないラインと、親が果たすべき役割の最低限のラインが重ならないのだとすれば、それは社会的な線引きをどこでするかという価値観の問題になりますね。


■保護者自身のニーズとして、家庭外保育の利用をしたい/したくない/せざるをえない
これはまぁ、0〜2歳児の人口300万人に対し、保育所利用数80万人、潜在待機児童数80万人(以上)という数字からも明らかなように、利用したいと思っている人が山ほどいるわけですが。

例えば正規・非正規にかかわらず制度上も風土上も育休取得が認められて、所得も7,8割は保証されて、望むタイミングで(”保活”せずに)復帰ができる体制ができたら、それまでは家庭で育てたいと思う人の割合、つまり現実には経済的・職業的事情により家庭外保育を利用せざるを得ない人の割合は、どのくらいなんでしょうか。

「当然そうしたい」という人が多数派なのであれば、長期的なビジョンとして「0歳児家庭保育」を目指すことも間違ってはいないと言えます。
逆に言えば、そういう体制が整うまでは家庭外保育をできる限り保証していく必要があります。


■社会規範として、子どもは家庭で育てるべき/家庭外保育の機会を保証すべき
子どもの発達に対する影響のエビデンスの有無や、当事者のニーズとは関係なく、「理屈抜きで”当たり前”のことだから」という理由で社会規範としてルールを設定しようという主張もあると思います。これはもう個々人の信条の範疇なので、そのような価値観の多様性を認めるかどうか、特定の価値観を制度化することを認めるかどうか、という話ですね。


■まとめ
各々の論点について、研究ベースですでに明らかになっている点もあるかもしれません。
ただ、おそらく多くは二項対立ではなく、メリット・デメリットそれぞれあるのだと思います。
極めて個別的で、多種多様な要因の絡みあう子育てというプロジェクトがテーマであるゆえに、いろんな意見が出やすいのだと思いますが、だからこそ語る側は、自分の主張の根拠が何らかのデータなのか、個人的価値観なのかということに一層自覚的であるべきと思います。

基本的に公共の福祉に反するという根拠がない限り、個人的志向は各々尊重されるべきと思うので、僕の”価値観”としては、家庭で育てたい人、保育を利用したい人、それぞれ自由に選べるような仕組みを目指していけばよいと思っています。

「家族は助けあうべき」とか「親子の絆」みたいな価値観はもっともではあるのですが、「理想の家族像」が強固であるほど現実とのギャップに苦しむこともあるわけで、それを人に強要したり、憲法に明記したり、教育課程で教えるのはどうかなと思います。学校で教えるなら、正しい避妊指導やオムツ替え実習でもしたほうがよほど有意義じゃないかなと。

なんにしても、アカデミックな領域の研究成果がきちんと政策決定に反映されることを望みます。