電車で妊婦に席を譲るべきか?の問題について

マタニティマーク、「暴力の標的になる」と自粛する妊婦も
http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/17/maternity-logo_n_8318998.html

妊婦が配慮の対象となることに反感を持つ人が多いらしい。だからマタニティマークをつけることを躊躇するという記事。

この報道を受けて、信じられない、とか、妊婦の立場を想像して、とか、批判の声が噴き上がっているようである。


基本的にはまったく同意なのだけれど、ただ、その"反感"の一つを読んで、ちょっと思うところがあった。

妊婦に優しくされない人間が妊婦に優しくする筋合いなどない
http://anond.hatelabo.jp/20151018215156


これを読んで、反感を持つ人とは、まさに妊婦のような"社会的弱者"が恩恵を受ける社会的互助の輪から、疎外され迫害されてきた(と感じている)人たちなのだな、と思った。

弱い立場にある人をみんなで助けよう、というのはその通りなのだけれど、それは社会的リソースに恵まれ、助けられて生きてきた、強い立場の人の正論だ。

その恩恵を受けたこと(あるいは自覚)のない人に、いくら妊婦の負担の大きさや出産が社会にもたらす利益を啓蒙したところで、おそらく届かない。


世の中にはいろんな形で弱い立場に置かれている人がいる。「妊婦」や「障害者」のように配慮の対象をカテゴリで区切って、それ以外は自己責任というのなら、その主張は矛盾をはらんでいると言われても仕方ない。

妊婦の立場に想像力を持てというのなら、同じように妊婦に反感を持つ人が、なぜそう感じるのかも想像してみなきゃいけない。

じゃなきゃ解決しないんじゃないかな。と思って、とりあえず書いてみた。