「保育の量と質」を巡るやりとりから派生して思ったこと

事の発端はこのインタビュー記事。

【前編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “女性の権利は語るのに「こどもにとって」は議論しない日本社会”

待機児童問題にスポットライトが当たりつつある中で、子どもの視点にも目を向けてほしいという内容の記事。
これに対しては賛否両論あったようで、記事掲載数日後にはすでに反響まとめ記事が上がっていた。

ステークホルダーの結集こそが次なるステップ|6,000いいね!「小笠原舞さんインタビュー記事」への反響を振り返る


僕はTwitter上でのフローレンス駒崎さんの批評からこの記事を知ったのだけど、なぜインタビュイーの小笠原さんの意見が「量の拡大と質の担保の二者択一」として捉えられたのか、よくわからなかった。

むしろ真逆で、「今はとにかく量が必要だから面積基準や資格要件緩和しても仕方ないよね」という風潮の中で、「いやいや量も必要だけどちゃんと質の視点も忘れないでよね」という、まさに「量も質も」を求めた意見であると思えたからだ。

また、駒崎さんは「異議を唱えるならば政策的オルタナティブを」と仰っているけれど、この点も(内容の是非は別として)“発達心理学等の学問をベースとした子どもへの関わり方を保護者が学べるしくみ”を提案されている。

要するにここでは「保育の量と質」の話題に置き換えられているけれど、小笠原さんが考える“子ども視点”とは、狭義のいわゆる「保育の質」(保育者の専門性、ハード面の整備etc.)の話ではなく、「親子関係の支援」の話なので、そこが微妙に噛み合っていないのだろうと思った。


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僕は相対的に“子どもの利益重視”な現場の保育士さんに比べると若干保護者寄りの立場なので、保護者がリフレッシュやちょっとした用事のために子どもを預けるのを批判的にみることには疑問だし、そこは親子双方のためにも快く引き受けてほしいと思う。
(極論を言えば、土日ともイライラした親と過ごすより、一日は保育園で、一日はスッキリした親と過ごす方がベターだろうという話。)

ただ、保育士さんからすればもう少し子どもに寄り添ってほしいという保護者がいることも想像できるし、だから早い段階で学びの機会があればという提言にも頷けるところはある。

これを親学的な親教育の話にも、女性手帳のような中途半端な啓蒙にもせずにシステムとして実現するには。
すでに小笠原さんが実践されているような草の根のコミュニティづくりを含め、アクセシブルな学びの場をオフライン・オンライン問わず創り出すことも重要だと思うし、あとはやっぱり教育なのかなと思う。
妊娠・出産の仕組みからペアレンティング、人生設計の仕方まで義務教育で扱ったらいいと思うし、高等教育の一般教養にしてもいいと思う。そっちのほうがよほど“人間力”である。


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もっとも、学びの機会だけでは解決しない部分もあるだろうと思う。
仕事である保護者の方から言われた言葉が、印象に残っている。

「子どもを産む前は、ご飯をあげて、オムツを替えて、寝かしていれば勝手に育つものと思っていた。でも、それだけじゃないんですね。」

様々な葛藤の中で四苦八苦しながら子育てされてきた方が、数年の相談を経て、しみじみ語った言葉。

早くから学びの機会があったところで、誰もがこういった洞察にすぐに至るとは限らないし、実体験を伴わなければわからないことの方が多いだろう。そこにたどり着くまでに一杯一杯になってしまう可能性もある。

だからこそそれまでの間、保護者を責めることなく受け止め、同時に子どもも支えるサポーターが必要だと思うし、身近なコミュニティで担保しにくい現代においては、それが子ども関係の専門職に求められるのだろうと思う。

誰かが指導的関わりをする必要があるならば、他の誰かが受容的関わりを欠かさないようにする。というのは施設内でも多機関連携でもよく言われている。

現実的に保護者を通してしか子どもと関われない多くの子ども関係職種にとっては、親子をつなぎとめて子どもを支えるためにも、まずは保護者を支えないことには始まらない。


自分としては、「子どもか親か」ではもちろんなく、「子どもも親も」とも少し違って、「親子」「家族」というシステム単位での最適解を探す支援をしたいと思っている。