『息子よ、それはそれでいいのかい 発達障害未満、「グレーゾーン」の子のお話』

息子よ、それはそれでいいのかい 発達障害未満、『グレーゾーン』の子のお話

息子よ、それはそれでいいのかい 発達障害未満、『グレーゾーン』の子のお話

副題にある通り、発達障害と診断されなかった、でも親から見ると違和感が募る…そんなお子さんを育ててこられたお母さんの手記。

不勉強で今ではかなりの数がある当事者や当事者家族の手記もあまりたくさん読めていないのだけれど、「グレーゾーン」(最近の言い方だと「発達凸凹」)の子を取り上げたものは少ないのではないか。

本文中に出てくるエピソードを見ると確かに明らかと思える部分もありながら、典型的ではなく、社会適応もできている。傾向はあったとしても、診断に該当するかどうかは判断できない。診断名をつけることが必要だったかどうかもわからない。

ただ、診断をつけることのメリットは、著者もたびたび触れておられるように周囲の「理解」と「支援」が得られることで、結局著者は我が子をどのように理解したらよいのか、どのように支援したらよいのか、はっきりつかむことができないまま、そしてその戸惑いをときに学校と十分共有することができないまま、長年孤軍奮闘されてきたということには胸が痛む。検査結果の解釈も、十分な説明もないまま長い間誤解していたことが終盤明らかになる。


おりしもDSMの改訂で診断基準が変わり、これまで診断を受けていた人が非該当となり支援対象から外されてしまうことが懸念されている今日この頃。

教育現場に関していえば、そもそも特別支援教育の理念がすべての子どもに適用され、診断の有無に関わらず「理解」と「支援」を受けられることが望ましいはずなのだけれど、現在の教育制度の貧弱さはなかなか改善の方向に進まない(いまだに一学級40人→35人にすらできていない)。
医療的には「障害」にあたらないという、そういった「発達凸凹」の当事者と保護者への支援を担う教育・療育機関に対する投資は、もっとされてよいはず。

一支援者としても、目の前のクライアントの困りや不安にきちんと向き合いたいと、我が身を振り返りつつ改めて思わされた一冊。